こんばんは、Percたかひろです。
私普段この活動日誌管理してるんですが、会社の歯車としてこき使われてるうちに自分で日誌書くことを完全に忘れてました。今、管理能力が問われてます。
さて、練習内容の話ですが、いつも通り何曲か合奏しました(雑)
印象に残っているのは、私がやるトライアングルの音を盛大にDisられたことでしょうか。
「音が合っていない」
そういわれた時は、その時使用していたトライアングル自体の音色かもしくはトライアングルを叩いているビーターの音色の問題だと思いましたが、果たして本当にそうだったのか。
たしかに、トライアングルの真に美しい音色を出し切った上で「音が合っていない」のであればその楽器自体に問題があるといえるだろう。
しかしそれはあくまで私がトライアングルに最高のパフォーマンスをさせられていたと仮定した際の話であり、当然ながらそのような事実はない。
ではトライアングルを演奏する私の方に責任があるのか。
否、そうとも言い切れない。
その理由について、トライアングルという楽器の象徴ともいえる「正三角形」という図形について考えてみる必要がある。
正三角形という図形は、一部の学者達の間ではある意味不完全な図形として扱われる。
たとえ各辺の長さが整数であったとしても、その面積においては平方根という整数には程遠い概念が出てくるためである。
自然ではない「不完全」なものに対し、人類は「完璧な解」を出し得ない。それが「トライアングル」という楽器に対する「最良の演奏」との関係性に紐づくことは疑いようがないだろう。つまり「不完全」なトライアングルという楽器を「完璧に」演奏することなどもともと出来ない、という見方ができるのである。
しかし、ここでまたさらに別の観点が生じる。三角形を「不完全」と考えるのであれば、それ以上に人間という生物が「不完全」であるというものである。
三角形も人間も「不完全」とした場合、「不完全」と「不完全」を組合わせて「完全」を作り出すということとなる。ところがその「完全」を判定するのも人間であるため、結局その「完全」は「不完全」なものでしかない。
それはつまり、「不完全」な事象を要素として「不完全な完全」を目指すという大きな矛盾を抱えることを意味するのである。
これは中世ヨーロッパを中心に行われた「錬金術」の概念に近いものがある。
「卑金属」を「金」に変えるというこの試みは、数多くの人間が挑戦したが誰一人として成功させることができなかったという。この場合、「金」という「完全」な目標があるものの、錬金術という過程が「不完全」であったために生じた必然の結果といえる。
また、古代エジプトでは、 …
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【まとめ】
すぎなみ彩楽WS第22回定期演奏会は6月18日(日)!!
杉並公会堂でお待ちしております!!!
練習頑張ります!!!!
トライアングルは別のに変えます